大判例

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大阪地方裁判所 昭和35年(わ)564号 判決 1961年1月30日

被告人 上村礼次郎

昭一二・九・二三生 無職

主文

被告人を死刑に処する。

押収してある飛出しナイフ一丁(証第四三号)は没収する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(事実)

被告人は父上村保一、母亀久江の次男として出生したが四才のとき母を失つたため祖母大谷コトの手によつて養育され、昭和二十八年三月大阪市立新北野中学校を卒業すると同時に同市東淀川区三津屋南通四丁目所在浪速機械株式会社に仕上工員として入社し、昭和三十三年初め頃には日給約五百円の収入を得ていたが、とかく無口であるため、職場の先輩同僚等とも親しく口をきくことがなかつたことから、自己が疎外されているように感じ、次第に孤独に陥り、仕事に行くのが面白くなく欠勤がちとなり、祖母コト等の諫止にもかかわらず、同年五月同社を退職し、同年七月頃から失業保険金の給付を受け自宅で無為徒食の毎日を送るようになり、翌三十四年二月には失業保険金の給付も打ち切られたのであるが、怠け癖がつき働くことを厭うようになつた被告人は積極的に職を求めようとする意慾なく、家人に対しても逃避的態度をとり、もつぱら週刊雑誌のスリラーもの、犯罪雑誌を耽読しているうち、被告人もたくみに他人の家から金品を奪い、安逸な生活をしてみたいとあこがれるとともに、徒食者のいずらさから、同年三月十二日頃無断家出するにいたつたのであるが、

第一、同年三月十五日夕方頃まで映画などを観たりして遊んだ後、何処かに泥棒に入ろうと思い梅田に出たところ、大阪府下の箕面方面が静かで人通りもなく犯行に都合がよいことに気づき、早速、阪急電車で箕面に赴き、諸所を徘徊物色した後、同日午後九時過頃、同市桜井百三十六番地の一田中秀三郎方邸内に忍び入り、同邸内庭で周囲の寝静まるのを待ち、翌十六日午前零時頃同屋内へ侵入するに際し、もし家人に発見され騒がれた場合には所携の鑪を作り直したあいくち様の刃物で家人を脅迫して金品を強取しようと決意し、屋内においてハンカチで覆面し、同家台所にあつた刺身庖丁二本(証第三〇号)のうち一本は手に持ち、一本は腰にさして人声のする玄関横八畳の間の内部の様子を窺うと、家人三名位がまだ起きていることが判つたので、家人を脅しつけ金品を強取しようと企て、つかつかとその部屋に入り、折柄堀炬燵にあたり雑談していた右秀三郎(当四十八年)、妻道子(当三十八年)、長女ヒデ(当十六年)に対し、右刺身庖丁を突きつけ「騒ぐな、金あるやろ、出せ」と申向けて脅迫し、その反抗を抑圧した上、右秀三郎より同人所有の現金三十万円余を強取し、その直後更に金目のものを物色するため、有合せの帯等で秀三郎等三人の両手足を縛りあげ、絶えず同人等を監視しながら同家屋内を物色し、夜明けを待ち逃げ出そうとしたのであるが、その間右秀三郎から「何処から入つて来たのか、」「一人で来たのか」と聞かれたり、「君はまだ若いので、真面目になる気があるなら、今の金は皆あげるから更生しなさい、もし仕事がなかつたら自分方の運転手にでも使つてあげるし、また他所にでも世話してやるから」と諭されたりしているうち、午前五時前頃になつた、そこで被告人は急いで逃げ出そうとしたところ、逃走に際し、右秀三郎等が騒ぎ立てたりするといけないので、有合せの帯、ネクタイ等で同人等全員の両手足をきつく縛り直した後、洗面所にいたり変装をほどき汗を拭いていると、前記秀三郎等が何時の間にか帯等をとき、洗面所附近に出て来たのと偶然出合い、自己の素顔を見られたことから狼狽憤激した被告人は、直ちに同家台所から庖丁二本を持ち出し、秀三郎等が慌てて前記八畳の間に引き返すのを追つて同室へ入り「おとなしくしておればいい気になりやがつて」と言いながら無抵抗の道子、ヒデを帯、ネクタイ、手拭等で順次後手に縛り、更に両足を緊縛した上目隠し、猿ぐつわをし、右秀三郎をもその両手を縛り目隠しをしたのであるが、秀三郎にはつきり自己の素顔を見憶えられているところから早晩、犯行が発覚し、逮捕されることを慮り、とつさに同人を殺害しようと決意し、その場にあつた電気足温器のコードを秀三郎の背後からその頸部に巻きつけて同人の体を仰向にし、炬燵から入口の方に引きずりながら力一杯しめつけていたところ、その苦しそうなうめき声を聞き、絞め殺されている気配を察した道子等が必死になつて秀三郎の助命を哀願したのに、一意殺害の念に駆られた被告人はこれに耳をかすことなく絞め続け、よつて間もなくその場で同人を絞搾により窒息死に至らせて殺害し、次いで道子、ヒデの両名を背中合せにして寝ころばせ、その足首、膝、胴をそれぞれ帯等で一体に縛りあげ、更に帯、ネクタイ等を結び合せた紐で両名の首をひつくくり、その紐の一端を前記堀炬燵の櫓に縛りつけたのであるが被告人は右道子、ヒデの両名を秀三郎同様、被告人の素顔を見憶えているにちがいないと思い同女等をこのままにしておけば後日逮捕されるかも知れないと考え、この際一思いに同女等をガス中毒させて殺害しようと決意し、直ちにその部屋で点火中のガスストーブの火を一旦消し止めた後、再び右ガスストーブの栓を開いてガスを放出させ、襖を閉めきり、密閉し、同女等に対し、「もう三十分したら楽にしたる」と言い捨てて逃走し、もつて右両名をガス中毒により死亡させようとしたが、同人等がガスのため息苦しくなり懸命にもがき続けているうち、幸にもヒデを縛つてあつた帯がゆるみ、同女がその緊縛を解きガスの放出を止めたため殺害の目的を遂げず

第二、同年十二月九日午前三時三十分頃、神戸市東灘区住吉町馬場東九百八十七番地時計商桑田喜美行(当三十七年)方において、同人及びその妻富代に対し所携の飛出しナイフ(証第四三号)を突きつけ「静かにせい、ばたばたしたら子供を皆殺しにするぞ、金を出せ」等と申向けて脅迫し、同人等の反抗を抑圧したうえ、桑田喜美行所有の現金約一万四千五百円、腕時計約三十個、指輪十三個を強取し

第三、同月二十日午前四時三十分頃、同市垂水区舞子町七百六十八番地大西豊太(当四十四年)方において、同人及びその妻良子に対し所携の飛出しナイフ(証第四三号)を突きつけ「静かにせんとためにならんぞ」「金を出せ」等と申向けて脅迫し、同人等の反抗を抑圧したうえ金品を強取しようとしたが、めぼしい品物がなかつたため目的を遂げず

第四、別紙犯罪一覧表記載のとおり、同年十二月六日頃から昭和三十五年二月二日までの間、前後十一回にわたり、大阪府泉北郡高石町羽衣二百二十三番地中谷由紀子方外十ヶ所において同人外十名各所有の現金約六万六千余円、衣類約二十点、時計数点、カメラ三点、テレビ、スライド、自転車各一点その他を窃取し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(確定判決)

被告人は昭和三十五年四月十二日大阪高等裁判所において昭和三十四年七月四日より同月七日までの間に犯した窃盗、住居侵入の罪により懲役一年の判決の言渡を受け、右判決は同月二十七日確定したことは、検察事務官作成の被告人に対する前科調書並びに大阪簡易裁判所、大阪高等裁判所の各判決謄本により明らかである。

(法令の適用並びに情状)

被告人の判示所為中、第一の判示田中秀三郎に対する強盗殺人の点は刑法第二百四十条後段に、判示田中道子、田中ヒデに対する強盗殺人未遂の点は各同法第二百四十条後段、第二百四十三条に、第二の強盗の点は同法第二百三十六条第一項、第三の強盗未遂の点は同法第二百三十六条第一項、第二百四十三条に、第四の窃盗の点は各同法第二百三十五条にそれぞれ該当するが、被告人には前示の確定裁判を経た罪があり、これと右判示各所為とは同法第四十五条後段の併合罪であるから、同法第五十条によりいまだ裁判を経ないこれ等の罪につき処断すべく、以上は、同法第四十五条前段の併合罪であるところ、ここで本件の情状についてみるに、前掲各証拠によれば、「被告人は幼少の時に母を失い、不幸な境遇に育つたとはいえ、祖母が母親代りになり愛養してくれたので世間一般の子弟に比し特段の逆境にあつたとはいえず、且つ中学卒業後、一応安定した職業につき昭和三十三年初め頃には日給約五百円の収入のある世間通常の生活状態であつたにかかわらず、自分勝手に退職し、以後勤労意慾を喪失し、金銭に窮するや安易に強盗の計画をしたものであつて、犯行を行うに至つた経過動機には殆んど同情に値する点がない。しかも判示第一の犯行の態様は手を縛られ全然抵抗することのできない田中秀三郎を妻子の必死の助命、哀願を一顧だにせず絞め殺し、次いでこれに足らずして妻子まで殺害せんとしたものでその行動は正に冷酷非情であり、兇暴性は文字どおり天人ともに許し難い。しかして右犯行の際強奪した三十万円余は約四月位の短期間に競輪、生活費、映画等に使い果すや、前示確定判決の罪を犯し、大阪簡易裁判所において懲役一年二月の宣告を受けて控訴中、保釈を許されると、その翌日より判示第二、第三、第四の各犯行を反覆敢行したもので、右各犯行時には凶器を所持しており、被告人の持つ反社会性、社会的危険性は極めて強いといわねばならない。もつとも被告人はいまだ年が比較的若く本件第一の犯行までさしたる非行歴なく、また被告人が前記職場を退職した当時、その同僚あるいは家族等の被告人に対する態度、指導は被告人の心理を充分に理解したものであつたか否か疑問の余地がないことはない。しかしながらそれらの事情を考慮しても後に説明するごとく被告人に各犯行時、心神障害による刑事責任を減軽すべき理由のない本件においては、各犯行、特に第一の犯行の動機、目的、殺害の態様、犯罪後の情況、一瞬にして一家の支柱を失つた遺族の心情等諸般の情況を綜合すれば、被告人の刑事責任につき情状酌量の余地はなく極刑をもつて臨むの他ないものと認めざるを得ないから、判示第一の田中秀三郎に対する強盗殺人の罪につき所定刑中死刑を選択し、従つて刑法第四十六条第一項に基き他の刑を科さぬこととし、よつて被告人を死刑に処し、主文第二項掲記の飛出しナイフ一丁は判示第二の犯行の用に供したものであり、被告人以外の者に属しないから同法第十九条第一項第二号、第二項によりこれを没収し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に則り全部被告人にこれを負担させることとする。

(弁護人の主張に対する判断)

なお弁護人森誠一は、被告人は本件各犯行当時心神耗弱の状態にあつた旨主張するので、この点について考えてみるに、鑑定人浜義雄の鑑定書中の「被告人の現在における智能は平均より少しく不良なるものであるが、決して病的な程度に著しく劣等なもの、すなわち精神薄弱というごときものでないことを確言しうる、判示第一の犯行にいたるまでの被告人の性格上の欠陥は他人に交つて勤労する意志が脆弱で些細な理由で勤労生活を自棄し、逃避的態度をとり遊惰な生活に逸してしまうといつたもので、精神病質の中意志不定型の範疇に入れてしかるべきもので、その精神病質の程度は、あまり良いとはいえない環境情況との相関において、ある程度の自我的苦悩を伴い得ている点や智能の病的劣等のないこと等から高度なものではなく、理非弁別力は責任能力に影響あるほど著しく減退しているものとは言えない」旨の記載及び前記各証拠、就中、被告人の検察官、司法警察員に対する各供述調書、被告人の当公廷における供述態度等を綜合し明らかな如く、被告人が当時精神病質の常況にあつたことは認められるけれども、是非善悪を弁識する能力、またはこの弁識に従つて行為する能力が著しく減退していたとは到底認められないので、弁護人の右主張は採用しない。

よつて主文のように判決する。

(裁判官 杉田亮造 雑賀飛龍 三好吉忠)

犯罪一覧表(略)

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